2015年07月12日

「車の運転が嫌だ!」という言い訳を全力でしてみる

どうも、SABUROH(@SABUROH496)です。


早速ですが、私はとにかく「車の運転」が、すごく苦手です。

免許は持っていますが、ペーパードライバーで、ハンドルを握ると不安と恐怖で、ものすごく緊張してしまいます。

できるなら一生、運転なんかしたくないと思っています。


「高めの球は捨てる」と決心してバッターボックスに入ると、逆に「高めの球」に意識が行ってしまい、捨てるはずの球に「思わず手が出てしまう」というのを聞いたことがありますが。

私は、人を轢き殺してしまったり、どこかに突っ込んで物を破壊してしまったりの、悪いイメージばかりが強化されています。

人の脳は「抱いたイメージを具現化」しようと働いてしまうので、やってはいけないと思いながら、無意識にそちらへハンドルを切ってしまうんじゃないかと、それが本当に恐ろしい。


そのことを人に言うと、あまりまともに取り合ってはくれず、「慣れ」だから、「練習」すればうまくなるからと、運転のできる家族や友人や何も知らない人は気軽に言います。

そんなの分かっています。そんなの百も承知です。

でも、嫌なものは嫌なんです。


この「嫌がっている」という気持ちを汲んでもらえず、「ぜんぜん大したことない」と、その人達は「善意」のつもりで、じわりじわりとソフトに首を絞めてくるんです。

理解してもらえない「憤り」、絡みつくような「圧迫感」。

それが本当に、たまらなく「苦痛」です。


運転が怖い・面倒という苦手意識を正当化するために、「自家用車を持つデメリット」や「チャレンジコスト」や「失敗のリスク」などの理論武装に余念がなく、オートメーションで目的地に向かってくれる自動運転車の実用化を心待ちにしています。


こういう言動や姿勢が、「苦手」「嫌い」「不得意」からの逃亡で、「言い訳」「正当化」で、後ろ向きの全力疾走だということは、自分でもよく分かっていますけど。


どうせなら、一度、きっちり吐き出しておこうと思い、記事にしてみることにしました。


溜まりに溜まった、「不満」と「憤り」!

王様の耳はロバの耳!!


井戸の底に叫ぶ代わりに、ブログに書き殴ってみます。

いいオトナの、ダダっ子全開のでんぐり返し、見てゆくがいいっ!



◆ 車の運転が嫌になるまで


それでは最初は、私が車の運転を苦手に思うようになった経緯から。



田舎の高校生は、だいたい高校を卒業する直前の、高校3年生の冬休み〜三学期頃に、自動車教習所に通って車の免許を取得します。

私も地元の自動車教習所へ通い、卒業前になんとか運転免許証を取ることが出来ました。

ここまでは、特に問題なかったと思います。多少、おっかなびっくりを引きずってはいましたが。普通だったと思います。


卒業後の進路は、東京に上京して、新聞奨学生制度を利用して新聞販売所に住み込み、そこで働きながら、専門学校に通うことになっていました。

それで、上京前に家族で外食でもしよう、ということになったんですね。

卒業〜上京前の期間のことなので、多分3月頃でしょうか。

おじいちゃんも生きていて、弟たちもまだ十代の学生だったから、自分を含めて家族は7人だったと思います。


その時、免許取りたてだった私は、運転をさせられることになったんですね。

7人で、さすがに全員は載れないので、2台に分乗したんだったかな?

そのメインの方の乗用車の運転をすることに。


教習所で、教官と2人で乗っていた教習車とは、勝手の違う家の車。

さらに、同乗者が多いことによる車体の重さ。初めて走る道。

自分のハンドル操作一つで、同乗している家族が、みんな死ぬかもしれないという緊張感。

いろんなことに戸惑って、エンストも何度かしたと思います。

なんとかお店に到着したものの、帰りも運転させられることを考えたら、ものすごく憂鬱でした。

卒業と上京のお祝いという名目の外食だったのに、主賓の私は、食事の味がまったくしませんでした。


そうこうして、その不安と恐怖を払拭する間もなく、上京します。


それから10年以上。


運転の嫌なイメージは残ったままですし、ほかにやるべきことはいっぱいだし、お金も機会もないし、積極的に車に乗ろうなんて思いません。

友人に頼まれたり、バイトで少しした以外は、まともに運転せずに時間が過ぎ去ります。

立派な、ペーパードライバーの完成です。


再び地元に帰った時には、運転方法を、すっかり忘れていました。


田舎暮らしで車の運転ができないのは不便だろうと、父に無理やり車に乗せられ、練習をさせられることになりました。

これが、さらなる苦手意識の追い打ちになります。


私の父は、若い頃にタクシーの運転手をしていた時期もあって、運転が上手なんですが、いかんせん人に説明をするのが致命的に下手です。教え下手です。

さらに短気で、せっかちな性格ときています。


エンジンのかけ方すらうろ覚えの状態で、いきなり車に乗せられて、わけもわからず路上を走らされ、助手席からゴチャゴチャと言われ、怒鳴られる。

路上を走っている緊張感。あの日のトラウマ。

そんな状態で、意味もわからず怒鳴られ続けたら、萎縮してしまいます。

楽しいなんて思えるわけがありません。


それでも、そんなことを続けたら、多少は乗れるようにはなります。

そういう、ちょっと慣れてきたあたりが、危険なんですよね。


一人で運転している時に、自損事故を起こしてしまいます。

おじいちゃんか、ひいじいちゃんの命日の日だったかな?

幸い、人を巻き込んだり、他人の物を壊したりはしませんでしたけど、これには本当に参りましたね。ショックでした。

バンパーだけでなく、心もベッコリ凹みました。


車は保険で直りましたけど、心は凹んだままです。

その車は、末の弟が車を買うときに下取りに出されて、今はもう家にありません。



これが、私が車の運転を嫌がるようになる、簡単な経緯です。



◆ 運転をさせたい人々の言い分


主に家族ですけど。

彼らの言葉から感じる、私に運転を勧める理由は、こんなところでしょうか?

・ 地方は車がないと不便
・ 世間体やご近所への見栄
・ 車がステータス、持っていて一人前という価値観

それから、なんとなく言葉の端々にですが、車で出歩けば結婚相手の一人くらい見つけてくるんじゃないかってフシも、ちょっと感じられます。

そんなわけあるかっ!



◆ 苦痛を感じるのは


私自身は、運転できないからといって、別に困ってはいません。

車を運転しない時間が長かったので、「あって便利」「なくて不便」という感覚がないので。


世間体や見栄も、別に気になりません。

子どもの頃から、クラスや仲間内で浮いているのが普通だったので、慣れっこです。


車に対して、憧れやステータスのようなものも感じてこなかったので、劣等感や焦りも感じません。


車を持っていないことや、運転が苦手なことは、別に苦痛ではありません。

私が苦痛に感じるのは、外出する時に、家族に「車で行け」「運転しろ」と言われる、それです。

何度も言いますが、「嫌な」こと「したくない」ことを強いられることほど、辛いことはないです。



◆ 自分の車なんていらない


そんなことを分かってくれない家族は、「なんなら車の代金出そうか?」と言います。


そうじゃない。買えないわけじゃない。欲しくないんです。

言葉はありがたいけれど、本当に、大きなお世話です。


私は、漫画家をしています。

自宅で仕事をしていて、どこかに通勤するわけではありません。

外出頻度も多くなく、忙しい時は、月に一度も外出しないなんてこともあります。


持っていたら、管理しなくちゃいけないじゃないですか。

維持費、ガソリン、整備、保険、駐車スペース……。

これを払い続けることが、どれだけ無駄か、ちょっと考えれば分かりますよね?

このランニングコストに加えて、リスクや手続きの手間。

いくら購入0円と言われても、ろくに電話もしないのに、通話料がバカ高いケータイなんか要らないんですよ!


【参考リンク】
●家計再生コンサルティング|ザイ・オンライン
「その車、本当に必要ですか?」“金食い虫”の自家用車の維持コストを考えよう!
●フクポン
自家用車に40年間乗ったときのトータルコストは3,396万円
●子育てパパがなにかやらかしています。
自家用車vsカーシェアリングvsレンタカーのコスト比較をしてみる
●「自動車ランニングコスト


週に1回ほどの外出なら、自家用車よりタクシーの方が割安です。

運転技術も要りませんし、リスクも責任も負いません。


歩き、自転車、タクシー、バス、列車……

車がなくても、運転できなくても、移動の手段はあります。


本当にどうしてもの時は、レンタカーもあります。

全国のレンタカー最安値比較なら「レンナビ」


調べたら、カーリースなんてサービスもあるんですね。

具体的に計算していませんけど、トータルで見るとどうなのかしら?

コスモ石油のカーリース スマートビークル


とにかく、だから私は、自分の車はタダでも要らないです。



◆ 「チャレンジコスト」「失敗のリスク」が高過ぎる


「交通事故」「物損事故」
自分や他人を、怪我させたり殺してしまいかねないという危険は、車に乗って、ハンドルを握る以上、常に付いて回ります。

そんなリスクも負担も、まっぴらなんですよね。


慣れるために、練習をすればするほど、ガソリン代がかかります。

危険は常にあって、気の休まる暇がありません。

なにかというと、手続きや手間がかかります。


「時間」に「お金」に「場所」
そして何より、「心理的負担」


それに見合う、利益が自分にあるのか?

どうも私には、割にあわない、見合わないとしか考えられません。


魅力も必要性も感じていないものに、貴重なリソースを注ぎ込む、そんな愚行はありませんよね。


車に憧れや魅力を感じていて、好きで乗る分には良いです。

通勤の足など、必要性に迫られているなら、分かります。


でも、自分には、そんなものありません。

だから、運転なんてしたくないんです。



◆ 面倒くさい


もうこの際なので、ストレートにぶっちゃけますけど。

それらをひっくるめて、とにかく面倒くさいです。


それを越えて、チャレンジしたいという思いが自分の中にない限り、やらないと思います。

逆にいえば、そういう思いが自分の中に芽生えれば、たとえ反対されても挑戦します。

リソースを割いて、自分のものにします。


何かを描く人になろうと、自分で専門学校の願書を取り寄せて、申し込んで、新聞奨学生の手続きをした、高校3年生のあの時のように。

だから、うるさく言わず、放っておいてほしいです。



これが、私が「車の運転が嫌だ!」という理由です。



◆ 未来は、まだかな?


というわけで、フルオートのロボットカーの実用化を、待ち望む私です。

いろいろ難しい問題があるかもしれませんが、変わる時は、ガラガラっと一瞬ですから。

その時を、楽しみにしたいと思います。



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煩わしく、危険な運転からの開放をっ!



◆ おわりに


というわけで、今感じている不満を、ひと通り吐き出してみました。

言い訳全開で、きちんとした人から見たら、みっともないこと、この上ないかもしれませんが。

モヤモヤしていたことを表に出せて、自分としてはスッキリ満足です。


先のことはわからないので、こんなことを言っておいて、何かのキッカケで裏返って、あっさりハンドルを握ることがあるかもしれませんけど。

もしかしたら、三年後や五年後、スイスイ車を運転している自分がいるかもしれませんけど。

それなら、それでもいいかなと思います。


人は変化する生き物で、「昨日の自分」と「今日の自分」と「明日の自分」は、別々の人間ですから。

一分一秒、そしてこの瞬間にも、私は成長しているのだからっ!


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posted by SABUROH at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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