2015年07月11日

オトナになったらできること、オトナになってもできないこと

どうも、SABUROH(@SABUROH496)です。


突然ですが、うちの父親は、牛乳などの、紙パックを開けるのがとても下手です。

注ぎ口の部分が、いつも軽く裂けていて、コップに注ぐと中身がパックの側面にツーっとたれてしまいます。

どうも、ツメで引っかけて、破くように開けているみたいなのですが、見た目的にも、衛生的にも汚くて、ちょっとアレです。


折り込んである、のり付けが薄い部分を開いて、一旦押し込んでから引き出せば、注ぎ口にさわらずに、キレイに開けることができるのに。

牛乳パックの上手な開け方.gif

パックにも解りやすく図入りで、説明文がしっかり記載されているのに、どうしてできないんだろう?


そこで思ったのは、たとえオトナでも、60年以上生きていても「やろうと思わない」「意識して試していない」ことは、できないし身につかないのだなー、ということ。

そういうことって、けっこうありますよね。私にもあります。

どんな人にも、少なからず、あることだと思います。



◆ 『ツレちゃんのゆううつ』


そんな、パックの破けた注ぎ口を見るたびに思い出すのが、漫画『ツレちゃんのゆううつ』の一編のこと。


『ツレちゃんのゆううつ』は、『エデンの東北』や『えの素』と並んで、寝る前に読み聴かせてほしい絵本のような、つい繰り返し読んでしまう、お気に入りの漫画の一つです。

三島たけし先生が、1990年〜1994年頃に週刊ヤングジャンプで連載されていた、シチュエーションコメディ風の日常劇。

繊細でポップな絵柄と、軽やかでリズミカルな会話の掛け合いが、しあわせな気持ちにしてくれる、おしゃれで可愛らしいショートコメディです。


主人公は、しっかり者だけれどおませでちょっぴり気の弱い小学1年生・夢野つれお(ツレちゃん)と、若くて美人だけどわがままで自由奔放なお母さん・ユキコ(かあちゃん)。

母子家庭の二人暮らしですが、父親がいない理由には一切触れず、暗い側面には踏み込みません。


まるで恋人同士のような2人の生活や、その周囲の人々や、時にはオバケや不思議な出来事をまじえつつ繰り広げられる毎日、おとぎ話のような優しい作品です。



◆ 子供になっても教えてあげない


思い出すのは、単行本第6巻収録のVol.96「子供になっても教えてあげない」というエピソードです。


この回は、いつも料理やお洗濯、お掃除など、小学1年生とは思えないほど何でも器用にこなすツレちゃんが、なぜかズボンを履くことは苦手で困っている、というところから始まります。


お風呂の脱衣場で、悪戦苦闘しているところを、かあちゃんに見つかり、笑われてしまうツレちゃん。

ツレちゃんのゆううつ01.JPG

<『ツレちゃんのゆううつ』三島たけし/集英社>

ツレちゃんのゆううつ02.JPG

そこで、かあちゃんが見ている前で、もう一度ズボンを履いてみて、何がいけないのか調べてみることになります。


それでわかった原因は、ズボンを履く時に足首の部分を曲げたまま履こうとしていて、つま先が引っかかっているということ。

かあちゃんの指摘で、つま先を伸ばして、引っかからないように足を通すと、それまでの悪戦苦闘がウソのように、スルッとズボンが履けました。


かあちゃんは、ツレちゃんに言います。

ツレちゃんのゆううつ03.JPG

「何もしなくても、おとなになったらできるようになるなんて、絶対思っちゃだめよ」

いつも、あんまりお母さんらしくないユキコさんですが、ズボンを履けるようになった嬉しさと、母親らしい頼もしさに素直なツレちゃん。


でも、ミルクを飲もうとしたツレちゃんは、パックを見て思いました。

ツレちゃんのゆううつ04.JPG






◆ オトナになったらできること


人は誰でも最初、何もできない赤ん坊です。

生まれてすぐの、赤ん坊の頃にできることなら、「自然にできた」と言っていいことだと思います。


でも、その頃できなくて、今できているモノやコトは、そうじゃない。

「やってみなかった」「やってみて気づかなかった」「やってみたけどダメだった」ことは、オトナになってもできないままです。


どんなことにも、必ず「最初のチャレンジ」というものがあったはずです。

つまり、「今やれていること」は、すべて、人生のどこかでチャレンジして、できるようになった結果だということです。

今できることは、成長する過程のどこかで、「何気なく」または「決心して」やってみて「獲得した」モノやコト。


方法を学んだり、慣れや成長があっての「再チャレンジ」。

それによって、「できる」ようになるものもあれば、それでも「できない」ままのモノもある。


頑張ってできたこと、克服したことは、達成感があって、強く覚えています。


でも、すんなりできたことは、最初のチャレンジを、やがて忘れてしまう。

「自然にできるようになった」と思うものは、抵抗や葛藤が少なくて、感動が小さくて、初めの時のことを「忘れて」しまっただけです。


食べられるモノ、当り前のように行っているコト。

どんなに些細でも、今できることは、これまで何らかのカタチで「チャレンジした証拠」であるということ。

それは間違いなく、かつて自分が「挑戦した結果の一つ」なんです。



◆ 今、苦手だったり、できないコトがあっても


「人間はイメージを実現する」生き物です。


脳の「扁桃核」に刷り込まれたイメージに添って、行動していきます。

「自信」に根拠がないように、「不安」にも根拠がありません。


「得意」「好き」と思うか、「苦手」「嫌い」と思うかは、最初のいくつかのチャレンジに、「たまたま」成功したか失敗したかというだけのことです。

そして、そういうイメージは、克服できたり、裏返ることもあります。


成長による慣れや変化だったりで、食べられなかったものが食べられるようになったり、苦手意識やトラウマを克服して、逆に好きになったり得意になったり。


アジフライをおいしく感じたり。
恐怖の対象だった注射が平気になったり。
人見知りだったコが、漫画の持ち込みや売り込みができるようになったり。

私にも、ちょっぴりですが、そういう体験があります。


【関連記事】
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◆ まとめ


「オトナになったら自然とできる」

…の「自然」なんてホントはないんです。

キッカケや感動が小さくて、覚えていないだけです。


今、アナタや私ができることはすべて、何らかのカタチでチャレンジした結果であるということ。


だから、できないことに落ち込まないで、できることを誇りましょう。


そして、あきらめずに挑戦し続けること。

なんでも「挑戦してみる」こと、「やってみる」こと。


そういうことが、大事なんだと思います。


「パーフェクト」を求めすぎるほど、結局、「ヤる」ことが先延ばしになっていく。

「カンペキではない」からこそ「ヤれる」わけです。

だから「カンペキじゃないから、まだ見込みが立たないから、ヤらない」というのは大間違いで、

「だからこそ、まずはヤッてみろ、踏み出してみろ」

ということになるわけです。

その結果、「うまく行かない」のなら、言うまでもなく、
「その瞬間に軌道修正を繰り返せばいい」だけです。

成功している人は、みんなそうしています。

「うまく行かない瞬間があったからダメだ! 終わりだ!」とか、
「最初からもっと計画しておけば!」とかで、その場をあきらめるのは間違いなのです。

結局のところ、人生は一生において戦いであり、

「戦いを避けたいがために、絶対にうまく行く完全な計画を考えて、何も始めない」

というのは、「生きていない」のと、何の変わりもないのです。

【引用記事】
渋谷心療内科・ゆうメンタルクリニック秘密コラム
進めない一歩を、一瞬で踏み出す方法




◆ それは、分かっているけれど


……と、自分が校長先生や社長なら、ここで切り上げると思います。

学生さんや子どもたちに、壇上から呼びかけてくれと言われたら、ここまで言って終わらせます。

ここまで言って、そそくさと壇上を降ります。

それは、ぐうの音も出ないほど「正しい」し、絶対的に「間違いない」ことですから。


「お前が何言ってんだ」とか、
「イイ事言う奴がイイ奴とは限らない」とか、
そういうのは、ひとまず置いておいて。


でも、オトナになって、いい年になれば分かるけれど。

分かっていても、それが正しいと思っていても、なかなかそうできないこともありますよね。

ツレちゃんのゆううつ05.JPG

ツレちゃんを諭したユキコさんも、普段はだらしないし、パックを開けるのは下手だし、バスの乗り方も分かりません。



◆ 「運転しろ」って言わないで


自分の心の声に耳を傾けると、私はとにかく、「車の運転」がすごく苦手です。

免許は持っていますが、ペーパードライバーで、ハンドルを握ると不安と恐怖で、ものすごく緊張してしまいます。

できるなら一生、運転なんかしたくないと思っています。


人を轢き殺してしまったり、どこかに突っ込んで物を破壊してしまったり、悪いイメージばかりが強化されています。

運転が怖い・面倒という苦手意識を正当化するために、「自家用車を持つデメリット」や「チャレンジコスト」や「失敗のリスク」などの理論武装にも余念がなく、オートメーションで目的地に向かってくれる自動運転車の実用化を心待ちにしています。


【関連記事】
「車の運転が嫌だ!」という言い訳を全力でしてみる


そういうモノやコトって、ほかにもいっぱいあります。

どんな人にも、少なからず、あることだと思います。



◆ 「すべてのこと」を「何でも」できる人間はいない


挑戦しても、できないことはあります。

食べられないものは、食べられません。


「正論」や「正しさ」は、分かります。

でも、それを受け入れ難い、自分の中の「気持ち」もあります。

そういうものと、どう折り合いをつけていくのか。


全部のことを「正しさ」で通そうとすると、息苦しいですよね。

この世に「すべてのこと」を「何でも」できる人間は、いませんから。

「オトナなんだから、もう食べなくてもいい」という理屈も、アリだとは思います。


かといって、何も「チャレンジしない」「挑戦しない」生き方が良いとも思っていない。



身につけたい、必要だと思ったモノやコトには、ぶつかってみる、挑戦してみる。

自分がそう思えないのなら、拒絶反応の出る、どうしてもダメなものなら、無理はしない。

心や体が壊れるほどの負担を、背負い込んだり、背負い込ませたりしない。


このへんが落とし所でしょうか。

その見極めは、難しいかもしれませんけど。



◆ だから、私は


鉱脈を見つけていない、子どもや若者には、やっぱりチャレンジを勧めます。

オトナでも、やる気と情熱があふれている人は、後押しします。

手当たりしだいの挑戦を。

人間まだまだ何があるか、わからないんだから。


でも、ある程度の年齢を重ねた、いいオトナなら、もう放っておいていいんじゃないかしら、と思います。

というか、放っておいてください。


だから私は、父親に紙パックをキレイに開けろとは、言いません。

だから私に、車を運転しろとは、言わないでください。


必要だと思ったのなら、自分から勉強するし、挑戦します。

専門学校に申し込んで、新聞奨学生の手続きをした、高校3年生の頃のように。

必要なら協力も求めるからっ。



◆ まとめ(再)


・ やってみなかった、やってみたけど気づかなかったことはできない

・ 今、自分ができることは全て、人生のどこかでチャレンジして、できるようになった結果

・ 柔軟で可能性があり、まだ鉱脈を見つけていない若いコには、手当たりしだい挑戦することを勧める

・ 自分に責任が持てるオトナには、あまりしつこく言わない


生きるって難しいにゃあ。

神聖モテモテ王国@.JPG

<『神聖モテモテ王国』ながいけん/小学館>



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posted by SABUROH at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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